大学の教員(大学だけで無いけど)のあるべき姿なんてあるのでしょうか?あるんでしょうね。先生と呼ばれるのがずっと嫌だったけど、今は受け入れるようにしています。というか、受け入れなければいけないと考えています。学生はきっと自分に「先生たれ」と叱咤しているだと思っています。先生なんだからそれぐらいきちんと考えて下さいよとか、お願いしますとか、面倒見て下さいとか、勉強して下さいとか、色々の意味合いが含まれているのだと思います。ただ年を取っているから先生になっているのでも無いし、一度先生と呼ばれたからってそのまま努力しなくていい訳でもないし。
自分が巡り会った先生を幼稚園の頃から思い起こしてみると、ほんの何人しか「あーいい先生だったな」という先生はいないのではないでしょうか。あるいは先生でもなくていいです、上司なり、目上の人、同僚、後輩でも「本当にいいやつ」なんてどのくらいいるんでしょう。研究もネットワークを作りながら進めないとなかなか進展しなくなってきました。そんなとき誰とネットワークを組むんでしょうか。現実問題は別としても気持ちとしては上、下関係なくいい奴と組みたいです。はて、自分はいいやつになれるのでしょうか?正直まだ嫌な奴です。いいやつになりたいですが。
大学は助手制度を改め、助教(じょきょう、助教授とは違う)という制度を目指しています。5年程度の任期付の採用です。いずれ、助教授、教授にもそんな話が来るんでしょうね。流動性を高め、競争を起こさせるという意味では基本的に賛成しています。そうなると業績評価とかが重要になってくるんでしょうが、そこが問題ですね。業績評価にならないことはやらないようにするとか、やれと書いていないことはやらないとかに走る人が出てきそうで怖いです。そんなの杞憂だと思っていたのですが、最近良く見かけるのは手伝わない人たちです。設置は頼まれたけど片付けは頼まれていないからほったらかして、他の人がやっていても帰るとか、知りあいが力仕事で苦労している時に見てもそのままやり過ごすとか、自分の都合が他の人に迷惑をかけているのに気づかないとか。。。イライラです。
結局水は低きに流れるなんですかね。。。油ギッシュな人材求む!