昨日は家内が不在だったので子どもたちと外食をしてきました。
有機コーヒーに有機シュガーとオーガニックシロップ。
残念ながら(?)オーガニックスジャータではありませんでした。
何を求めているのでしょうか?最終的には有機人間となりたいようですね。
「学校給食に有機食品を求める声」なんて記事が出ない事を祈っています。「うちの子は生まれてからずっと有機食品で育ってきたのだから」なーんてね。
健康で長生きが有機人間の方が出来るのであればそうなのでしょう。有機人間の時代は長い人類の歴史の中ではほんの少し前まではそうだったと思います。理由は色々あったにしろ、必ずしも長生きではなかったようです。親殺し、子殺し、飢饉、流行病の発生。。。もちろん、存分に土地を利用して食糧を生産し、植物や動物由来の薬効成分を活用して暮らして行けるなら良いのですが。
有機物の活用を科学的により高めるという事は今後ますます重要な技術になってくると思います。その中で有機農業は多くの要素技術をすでに獲得しているものだと思っています。でも、盲目的に有機農業が良いだの悪いだのというのはやめたいですね。
有機物の農業での活用は作業量の増大の問題もあります。日本では堆肥等の利用で、それなりの機械化も進んでいますが(もちろん、それでも大変なのですが)、思い出すのは以前調査を行った中国南西部の農村地帯です。堆肥、豚糞、人糞等の活用は当たり前ですが、液肥や現地に導入されたメタン発酵液の利用もありました。特に液肥や発酵液のように肥料成分の濃度は低いのに量はあるものをどう扱うかが問題でした。机の上の話し合いではこれをきちんと農地に戻せば良いのですが、現地は山間の農村で、段々畑が延々と続いている場所です。車はおろか、バイクも無理です。わずかな肥料成分を持つ液肥(堆肥だって化学肥料に比較すればずっと少ないのですが)を運搬するのを誰が行うのですか?そうすることが農家の経営状態を改善するのですか?小学生該当者の6割までもが学校に行けずに働かされている状況でした。そんな中では机上の空論にしか過ぎない話でした。こういう所に技術革新が欲しいです。きわめて希薄な溶液から必要な成分だけを濃縮できる資材とかが必要でしたが、ありませんでした。